2017-08

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三河・岡崎/岡崎公園へ

『カクキュー 八丁味噌の郷』で味噌蔵見学を終えたアキラ氏と伊蔵はしばらく歩き、国道1号(旧東海道)へと出た。そのまま国道1号を東へ向かうと岡崎公園へと辿り着いた。岡崎公園は岡崎城の城跡を公園に整備したものである。
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公園入口には岡崎城の入口である立派な『大手門』があった。しかしこの門は復元されたものであり本来の大手門はこの場所にはなかったらしい。いままで岡崎城には何度も訪れた事があるのだがその時はこのような立派な大手門は無かった。巨大な門をくぐり公園内へ。
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徳川家康の生まれた城として知られる岡崎城。岡崎公園内にはその家康像が建っていた。浜松城で見た『若き日の徳川家康』像に比べ、こちらの岡崎公園内の家康像は貫禄というものが感じられ、叩き上げで築き上げた大企業の社長か会長のような風貌なのが面白かった。
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岡崎城の起源は15世紀前半までさかのぼり、明大寺の地に西郷稠頼によって築城されたのがはじまりである。その後、家康の祖父『松平清康(まつだいらきよやす)』が現在の位置に移して以来、この地が岡崎城と呼ばれる様になった。江戸時代にはこの岡崎城は『神君出生の城』として神聖視され、特に家格の高い譜代大名が城主になった。岡崎は石高こそ五万石と少なかったが、前述の事から大名の多くはこの城の城主となる事を誇りとしたという。
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江戸時代は神聖視されたこの岡崎城も明治の初めにその大部分が破壊されてしまった。現在の天守閣は鉄筋コンクリート造三層五階で昭和34年(1959年)に復元されたものである。復元された天守閣だが風格は堂々としていて渋い外観だ。岡崎城は何度も見た事があったが登城するのは今回が実は初めてなので楽しみだ。
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天守閣を支える石垣も荒々しい積み方が特徴となっているが変わっていたのは反りが内側ではなく外に向かって膨らんでいた事。入館料を200円を払って早速天守閣内部へ。全国のあらゆる城の内部と同じ様にこの岡崎城天守閣内部も岡崎藩の藩政や城下町とその文化と産業、岡崎城と城主についての紹介展示が主だった。残念なのは城内の佇まいが鉄筋コンクリート造丸出しであった事。城内にいるという感じが全く無い。外観がとても渋かっただけにこれは残念だった。
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それでも天守閣五階の展望室から眺める景色は格別で岡崎の街が一望出来る。城の濠を跨ぐ旧東海道も見える。その昔はその東海道を旅する人々がこの岡崎城を眺めた事だろう。
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天守閣下に戻って来ると亀の上に碑が乗っかった奇妙な石碑が。石碑には“人の一生は重荷を負いて遠き道をゆくがごとし”で知られる徳川家康公の有名な遺訓が刻まれていた。
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さすがは苦労人家康。その遺訓からは彼自身が苦労しつつ人生から学んだ全ての事が詰まっている感じがする。う~むちょっと考えさせられる文章だ。
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天守閣に夕陽が照りつけ始めた。そろそろ岡崎を引き上げる事にしよう。
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浜松の帰りにフラリと立ち寄った久しぶりの岡崎は紅葉がとても綺麗だった。いまだに昨年暮れの旅のレポをしているのも何なのだが・・・(笑)
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大分旅の模様を端折ってしまった感のある今回の浜松・岡崎の旅レポ。やっと終わりました。次回はこれまた久しぶりに訪れた岐阜市の模様をお届けしようと思います。


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伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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