2017-08

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岐阜市へ/その8・岐阜公園・信長居館跡

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岐阜大仏のある正法寺から『岐阜公園』は歩いてすぐの距離だった。この岐阜公園は金華山のすぐ麓にあり斎藤道三や織田信長の居館があったとされている場所で現在は金華山山頂まで行けるロープウェイの発着駅や金華山への登山口や岐阜市歴史博物館や美術館などが公園内にある。
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岐阜公園内には板垣退助もいた(笑)土佐藩出身で自由民権運動を推進した政治家の像がなぜこの岐阜公園内にあるのかというと、彼がこの場所で遊説中に暴漢に襲われ刃物で身体を刺され重傷を負った事が発端となっている。
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彼は襲われた際に『板垣死ストモ自由ハ死セズ』と有名な言葉を残したと伝えられるがこれには諸説あって彼自身がそう叫んだかはどうかは定かではない。この遭難事件を史実として残す為に有志者達が板垣の像を立てたという。だが先の戦争においてこの板垣像は金属供出にあって撤去されてしまい現在の像は再建されたものだという。
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この板垣退助像のすぐ近くに『織田信長居館跡』がある。遺跡の一部は綺麗に整地されているようだが居館の遺跡の全貌についてはまだまだ未発掘のところが多く現在でも発掘調査をしているようだ。
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信長は斎藤氏のものだった美濃を制圧し稲葉山城(岐阜城)を本拠としたが稲葉山(金華山)山頂の城郭は有事の際のみに使用するだけで、平時は山麓のこの場所に建てた居館を使用していたという。金華山は標高329mもある高い山なのでこのように戦闘時と平時に館を使い分けした方が便利が良かったという訳だ。
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早速その『信長居館跡』へと入ってみる事にする。といっても特に建物が残っている訳ではない。どのような建物が建っていたのかすらはっきりとは分かっていない。
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整備され案内板が一応は立てられているもののこれは居館跡のほんの一部分であり、ほとんどがいまだに発掘調査中だ。当時の信長居館の絵図などが残っていればおおまかな全体像がわかるのだがその様なものは残っておらず、手掛かりとなっているものは文献のみ。先にも書いたが、当時日本にキリスト教布教の為に訪れていたイエズス会のポルトガル人宣教師『ルイス・フロイス』の著した『日本史(Historia de Iapam)』に書かれている居館についての記述が有力な資料として現在の発掘調査の手掛かりとなっている。
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フロイスは戦国時代末期の日本の主な都市の様子や、有力な戦国武将や庶民の生活や文化等について非常に詳細分かりやすく『日本史』に記録しており、当時の日本を知る資料として貴重な文献となっている。彼が1569年6月に岐阜に訪れた際に岐阜の町や信長居館の様子について記したものを簡単に抜粋して書き連ねてみると、

●岐阜の町の人口は八千~一万人で遠く諸国から集まって来た商人や人々で町はあふれその賑わう様はまるでバビロンを彷佛とさせた。
●宮殿は非常に高いある山(稲葉山)の麓にありその山頂に彼(信長)の主城(岐阜城)がある。
●一階は絵画と金で塗られた屏風で飾られた約二十の部屋、四つ五つの庭園があり池もあった。他にも宮殿の用に思いのまま使用できる泉もある。二階は美麗な内装を施した奥方や女中達の部屋があり三階は山側へ同じ高さでつながった通路がありそこに茶室がある。三階と四階の見晴し台からは岐阜の町が一望できる。

などなどの記述がみられる。これらの記述が裏付けられる絵図が残されていないのが残念なところだがフロイスの詳細な記述から信長居館の様々な想像は可能だ。現在の岐阜公園内の居館跡をとぼとぼと歩いてみると、居館は山の斜面を一帯に建てられていたようだ。
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斜面に沿う形でいくつもの建物が建てられていて廊下でそれぞれが接続されており、多分その建物の接続部の途中途中に庭園や池等が配置されていたのだろう。この日は雨天だった事もあって発掘中の場所にはいくつもブルーシートがかけられていた。
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金華山からは綺麗な水が麓に滝となって流れ込んでいた。これらの水も庭園や池、茶の湯に使用する為に利用された事だろう。
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斜面に沿う形で発掘が進められているようで、かなり山の深部の方まで調査対象とされいたるところにブルーシートがかぶせられていた。伊蔵は斜面に沿って山道を登っていったが途中で行き止まり(立ち入り禁止)になってしまった・・・。
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立ち入り禁止区域の向こうも広い範囲に渡って調査されている感じだった。この様に岐阜公園一帯で発掘が進められていて火災にあった建物の遺構や石組の水路、井戸やカマドなどが発見されている。
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一体どれほど壮麗な居館がどのような形でこの場所に建っていたのだろうか。想像は膨らむばかりだ。いずれにせよかなりの大きさの敷地を持つ屋敷だったことは歩き回ってみて分かったが。
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信長居館跡をひととおり回るとすぐその脇にある金華山ロープウェイの山麓駅付近へと足をのばしてみたがあいにくの悪天候で観光客の姿もまばらだった。金華山山頂への登山道付近には朱塗りの三重塔もあって外国人観光客グループ4~5名がかわるがわる塔の前で一生懸命に記念撮影している姿が何だか微笑ましかった。
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雨天の為、人の姿もあまり見かけなかった岐阜公園だったが桜も満開していて静かで見て廻るにはちょうど良かった。ひとまず岐阜公園散策は終了して伊蔵は長良川河畔まで行ってみる事にしたのだった。<つづく>

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伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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