2017-08

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夏草の賦

今年の大河ドラマ「功名が辻」が始まって早々に原作本を読破してしまったので山内一豊が土佐(高知県)に移封される前の土佐、つまり長曾我部氏(ちょうそかべし)が治めていた頃の話が読みたくなって司馬遼太郎先生の「夏草の賦(なつくさのふ)」を現在読んでいる伊蔵です。
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長曾我部元親(ちょうそかべもとちか)は最初土佐の一郡の領主に過ぎなかったが巧みな武力調略で土佐一国を制し、いずれは四国を征服するに至る。しかし如何せん中央(京、大阪)では織田信長が一足先に天下の統一に乗り出しており、海を挟んだ長曾我部氏は遅れをとらざるをえなかった。必然的に信長と衝突する事になるのだが、その矢先「本能寺」で信長はこの世から去る。次に台頭した豊臣秀吉の四国征伐で折角切り取った領土の四国全土を土佐一国までに減らされてしまう。とても損な大名である。

元親の死後、後を継いだ盛親(もりちか)は関ヶ原の戦いで西軍(豊臣方)についた為、家康から唯一の領土、土佐まで奪われてしまう。
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そこで家康がかわりに土佐の領主にしたのが「山内一豊(やまうちかずとよ)」である。ちなみにこの山内家は幕末まで土佐の領主で在り続け、幕末には「四賢候」の一人、「山内容堂」を藩主に持つに至る。
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この容堂という人はとても酒好きで「鯨海酔候(げいかいすいこう)」とあだ名された。維新の数年後に酒好きと遊びが過ぎて脳溢血でこの世を去った。

長曾我部元親は争いが絶えなかった土佐や四国をまとめるために都の様々な様式や芸事、武芸などを家臣に習わせ、当時としては珍しく法を成文化させ徹底させた。自分が四国を征服し、中央に打って出た時に田舎者として馬鹿にされたくなかったらしい。

また土佐人特有の酒好きにも頭を悩ませてしたらしく(戦さの時に兵が酒を飲んでしまう為にとっさの時の行動が出来なくなるのを恐れた)禁酒法まで施行した(これは人々の批判が続出し失敗して撤廃されたが)

戦国時代というと織田、豊臣、徳川がメインだが、こういったマイナーな戦国大名の話も読んでみるとかなり面白い。

あと伊蔵としては土佐の名物「鰹のタタキ」が好きだ!(笑)
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お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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