2017-07

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南信州・伊那谷へ・最終回/その12・養命酒の故郷(5)

『養命酒健康の森記念館』を一通り見て回った後、アキラ氏と伊蔵は森に囲まれた工場敷地内を一周する道をクルマで回ってみる事にした。
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この工場が建っている場所は環境が良い場所の為か、太古の昔から人が住んでいたようで敷地内の至る所に竪穴式住居の遺跡が遺っており、その住居も綺麗に復元されて見学が可能になっている。
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工場敷地内の森林に囲まれた道を斜面に沿う形でどんどんクルマを進めると工場を下に一望出来る頂上に到着した。この場所には『養命酒』の創業者である飼いの牛に跨がり生薬を求め山野を巡る『塩澤宗閑(しおざわそうかん)翁』の像がある。
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彼がどのような経緯で養命酒の製造を始めたのかについては次の様な逸話が残されている。伊那谷の庄屋である塩澤家の当主、宗閑はある雪の降る日にある行き倒れの病人を助けた。宗閑の介抱の甲斐もあり、その病人は全快したが、その後も塩澤家の食客という形で約3年間程世話になっていたという。
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3年の後、行き倒れていた自分を助けてくれた慈悲深い宗閑に対し、御礼という形で薬酒の製法を伝授したのだという。それが『養命酒』の原点という事らしい。伊那谷には薬酒を造る為に必要な各種の薬草が豊富に存在していた。それに宗閑に助けられたこの人がたまたま“本草学”(ほんぞうがく/今でいう薬物学者)に通じていた人であったらしく薬酒の製法に詳しかったのだった。
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宗閑はその後、この薬酒を広く人々の健康と長寿の為に役立てようと考え、自ら牛に股がって日夜山野を巡り薬草を採取しては薬酒造りに励んだ。この薬酒を『養命酒』と名付けたのは1602年(慶長7年)の事であった。

養命酒創製の話は聞いてみるにつけ半ば伝説化、もしくは昔話のようでもある。上記の逸話が事実なのかは分からないが創業四百年という事は紛れもない事実。日本の企業の中でもかなり永い歴史を持つ会社であろう。現在の『養命酒製造株式会社』の代表取締役社長も宗閑の子孫である塩澤さんである。

塩澤宗閑翁の像の基壇には以下の言葉が刻まれている。
DSCF9566.jpg
“養命酒の創始者 塩澤宗閑翁 
世の人人の健康長寿を希い 手飼いの牛に跨がって 
深山幽谷を跋渉し 薬草を採取して 養命酒を創製した”
DSCF9570jpg.jpg
創業者の目指した理念が四百年後の現代まで脈々と受け継がれているというのはやはり凄い。この日はたまたま天気が悪かったが、小雨に煙る深い森林の前に立つ塩澤宗閑の像はとても神秘的に見え、まさに深山幽谷を巡って薬草を取っているという感じがとても滲みでていて良かった。

たまたま旅に出る前に知って訪れた『養命酒駒ヶ根工場』ではあったがかなり楽しめた。我々の南信州伊那谷の旅も終わりに近付いた。相変わらず天候は一向に好転しないが駒ヶ根インターを目指して帰途についたのだった。<完>

youkomagane.jpg
◆養命酒駒ヶ根工場/健康の森
・住所/長野県駒ケ根市赤穂16410
・電話番号/0265-82-3310
・工場見学/9:30~16:30
(30分間隔毎見学開始・所要時間約30分)
・健康の森
 記念館、カフェ及び自然散策はいつでも自由に利用可能
 営業時間/10:00~16:00(年末年始を除き無休)
・ホームページ
 http://www.yomeishu.co.jp/


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幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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